073.jpg

HOME > ストーリー > 世界のかき事情 > 中国 > 中国 その6

台 湾

  • 台湾へは2010年4月に再び訪問した。目的はポルトガル牡蠣ということの確認のためである。台北について、すぐに故宮博物館へ向かった。中に入ると中国人が大勢来ている。3階建ての内部は狭いが、展示物を見ると、さすがに中国は歴史が長いと感じる。このような偉大な文明を持っていたのかと改めて認識する。
  • ここで牡蠣の陶器を見つけた。唐(618年から907年)宗(960年から1127年)時代の蠔山青瓷碗である。牡蠣が描かれている。青瓷セイシとは磁器の一つ、うすい緑や藍色のうわぐすりをかけた焼きもので、Coladon bowl in a oyster shell 9th-13th。と牡蠣であることを示している。また、瓷器的傳播とあり、英語でThe Dissemination of Procelainとある。故宮博物館には以前にも来たことがあるが、牡蠣の陶器には気がつかなかった。
  • 翌日、今回は新幹線で嘉義に向かい、現地で日本語を研究しているという男性にガイドをしてもらって、早速に雲嘉南濱海国家風景区に位置する東石牡蠣養殖場へ向かった。雲嘉南濱海国家風景区とは、台湾南西部雲林・嘉義・台南三県および台南市の沿海地区の国定公園。2003年に設立された。砂洲、潟湖などの湿地を特徴とするところ。11時に東石地区に着き、一軒の養殖業と思える家の前で、ガイドが大きな声で叫ぶと母子が出て来て、二人は単車に乗り、先導し、港に連れて行ってくれる。
  • ここが東石牡蠣養殖場で、台湾海峡に沿った海岸である。強化プラスチックFRBで造られた船は舳先を曲げて上げている。この船で養殖場に向かうのである。母がFRBの舳先に腰をおろし、息子がエンジンをかけ港を出始めたとき、突然、何かの操作が影響したのか、突然ピストン飛び出し、それに艪の棒が当たり、ポキンと真中から折れてしまった。艪が使えなくなって、これでは船は走れない。息子は、家に戻って父親を呼んでくると叫び、単車で母と一緒に走り去った。しばらく船の上で待っていると、今度は父親が息子と一緒で、手に艪を持っている。
  • 再びエンジンをかけ出発。今度は父親の操縦であるが、足で艪を上手に動かし、結構スピード出して、波しぶきがズボンや背広に掛かる。おかげでずぶ濡れとなった。10分ほどの沖合の筏に停まる。筏は竹で組まれていている。竹は27本、それが三つに縛られ、それごとに牡蠣が2mくらいの長さでぶら下がっている。一本の竹に21個の牡蠣であるから合計567のひもで牡蠣養殖されている。牡蠣を引き上げてみると、牡蠣に海草が着いていない。これは韓国のトンヨンと大違いである。トンヨンはすごくついていた。海水の検査をしているのかを尋ねるが知らないとの答え。
    sign_c_6_1.png筏から牡蠣を引き揚げる
  • 今の時期は食べるには季節外れ。まだ小さいが、出荷は4月後半からから始まるので、今はまだ小粒の牡蠣とのこと。牡蠣シーズンは4月から8月で9月は台風が来るので、養殖場は閉鎖となる。父親が所有する筏は8台で、家業として四代目。息子は五代目になる予定。この海域では200家族が養殖している。種を着けるのは10月で、すべて一年以内に出荷する。干潮差は結構あるらしいが、具体的データでは分からない。人の大きさよりは大きいという。牡蠣の出荷先はすべて仲買人で、小売りはしていない。家族で牡蠣剥きして届ける。価格は大体1kgで100元。牡蠣の種類を聞くと、牡蠣と答える。ポルトガルカキではないかと尋ねるが知らない。
  • ここでの牡蠣養殖期間を整理すると、すべて台風が基準になっていることが分かる。牡蠣を食べるのは4月から8月、9月は台風が来るので牡蠣業者は作業が中止、台風が去った10月から3月までは種付けから始まる養殖作業の期間。このようにすべては台風によってきまるので、牡蠣を食べるのは夏場ということになる。これが日本と大きく違うところだ。なるほどと思う。
  • ところで、ここで引き揚げた牡蠣を、ビニール袋に入れ持ち帰る。今日泊まる予定の台南市の何処かのレストランで料理してもらう目的で。泊る予定の台南市では、三越デパートに入った。食料品売り場に牡蠣があって、東石産とあり、価格は100g78元である。先ほどの父親の出荷額は1kgで100元だったから、三越はバカ高いということが分かる。ここは高級品を扱っているのだろう。店員の応対も日本式で素晴らしい。
  • 夕食は、海鮮レストラン永上海産碳(たん)烤(こう)に行く。台南市の下町である。牡蠣を持ち込み、ガイドが紹興酒と屋台で買ってきた魚を煮込んだスープみたいなものも持ち込んで、牡蠣は料理してもらいたいと頼むのだから、最初に入ったホテル内の店では当然ながら断られ、そこでタクシーで向かったところがここである。ここで牡蠣の本を書いている訳を話して、台湾のガイドブックに掲載されている蚵仔煎オーアーチェンという料理を作ってもらう。ガイドブックに「小ぶりの牡蠣が入った屋台定番料理のオムレツ。甘辛のタレをかけて味わうもの」とある。
  • このように屋台の料理をつくってもらい、持ち込んだ紹興酒を温めてもらって、飲食したレストランだから、前面入口にはドアもなく、道路との境がよくわからない状態の店で、隣も道路の向こう側の店も同様の地区で、当然に、地元の人の集まるところだ。外国人は珍しいらしく向こうの客から声がかかる。向こうではウイスキーを飲んでいる。後ろのテーブルではビールだけ。紹興酒は台湾の人は飲まないのではないかと推測したくなるほどである。近くで爆竹が派手に鳴っている。支払いはカード出来ず現金のみ。
  • 翌日はポルトガル牡蠣の確認に専門家に会いに行った。ようやく解明出来るだろうという期待を持って。到着したところは「行政院農業委員会水産試験所・海水繁養殖研究中心」である。車が停まると首にニコンカメラをかけた中年男性がにこにこしながら待っている。名刺交換する。牡蠣養殖研究者の戴仁祥氏である。TAI Jen-Hsing氏。ようやく台湾で専門家に会えた。よかった。
  • sign_c_6_2.png牡蠣種場の海
  • 早速、すぐ近くの牡蠣種場の海に行く。そこはくい打ち式の横かけの養殖場である。種を牡蠣殻に付けてひもで横にかける方法である。この種場から台湾各地に出荷する。人工方法は行われていない。研究はしているが。種は8月15日前後一週間で採る。ひもの長さは海の深さで違うが、大体一つのひもに12個から18個付ける。
  • 台湾の主な牡蠣養殖地は四か所。彰化県王功地区。嘉義県東石地区。台南地区。膨湖島。今までいろいろ牡蠣関係の人が雑多に言っていたが、専門家の見解でようやく整理された。また、台湾の牡蠣期間は4カ月でも1年でも出荷するという。海の条件によって異なるが、一般的には6カ月から12カ月まで。ただし、一つ同じなことは9月の台風シーズンで終わることである。台風で牡蠣は採取できないのでシーズンは終わる。これは東石で聞いたことでもあり、再び、なるほどと思う。
  • 「行政院農業委員会水産試験所・海水繁養殖研究中心」のロビーに戻り、戴仁祥氏からレクチャーを受ける。まず、出荷データをもらう。2008年は34,514t。むき身で。この数字に驚く。日本も3万トン程度だから。金額は3,608,911,000元だからこれに3をかけると108億円になる。大きい。意外である。いろいろ聞いて最後に確認質問を行ったのは、台湾の牡蠣はポルトガル牡蠣かということ。この質問には「そうです。ポルトガル牡蠣です」と明言する。追加情報として、1941年の資料によると、台湾に牡蠣は14種類あったというが、今は一種類で、それはポルトガル牡蠣だということが3年くらい前の学会で決着がついたという。
  • 仙台の牡蠣研究所の森所長のレポートにその経緯が書いてあるので、それで再確認するとよいとのアドバイスを受ける。森氏はこのセンターにも来たことがあり、戴仁祥氏も会っているとのこと。
  • ヨーロッパで絶滅したポルトガル牡蠣が何故に台湾に存在しているのか、という質問に対しては「台湾は占領され支配された歴史をもつので、その際に入ったのでは」という見解である。なお、台湾での牡蠣の食べ方は火を通して食べるのが普通なので、ノロウィルスの影響はあまりないという。日本は牡蠣のノロウィルスを気にし過ぎるのかも知れない。レクチャーが終って昼食に行く。戴仁祥氏はなかなか好感持てる人物である。穏やかで学究肌で、ジックリ回答してくれる。
  • 昼食に台湾ビールを飲むが、戴仁祥氏は最初の乾杯でグッと一気に飲み干したので、これはアルコールに強いのかと思っていたところ、その後はコップに手をつけない。こちらは適当にコップにビールを注いで飲むが、戴仁祥氏は飲まない。その時、中国の宴会を思い出す。そうか、台湾でも一緒に飲む相手を決めて、お互いコップを目の前にして飲むのかと。そこで、戴仁祥氏に中国式をしてみると、コップを手にして飲み干す。これにもなるほどと思う。
  • これで台湾の牡蠣事情は終るが、最後に仙台のかき研究所の森所長のレポートをご紹介したい。台湾の牡蠣はポルトガル牡蠣であると推論している。レポートは「台湾澎湖のカキ養殖とその意義 かき研究所ニュースNO23.2009年6月号」である。「ポルトガルガキとマガキC.gigasの分類学的位置はしばしば論争の的になってきた。幼生の殻の形態、実験的なハイブリッド作製および酵素多型に関する電気泳動に基づいて、これら2種は同種異名であると考えられてきた。
  • しかし、近年、ミトコンドリアDNAとマイクロサテライトのデータに基づく幾つかの遺伝学的研究から、これら2種は極めて近縁ではあるが、遺伝的には異なることを示す証拠が出てきている。系統解析を行うと、両種はともに、まさしくアジアのCrassostreaの完系統の中に位置づけられ、このことはポルトガルガキがアジアからヨーロッパへ導入されたという仮説を支持している。そして、ポルトガルガキだけの純粋な集団が台湾に存在すること(Boudryら、1998)およびポルトガルガキとマガキとの推定混合集団が中国の北部海域で観察されること(Yuら、2003;Lapègueら、2004)が報告されている。したがって、ヨーロッパのポルトガルガキの起源はアジアにあると考えても間違いではなく、火の中でも台湾である可能性が非常に高いということになる」
  • やはり、台湾の牡蠣はポルトガルガキであると確認できた。以上で台湾の牡蠣事情を終えたい。