073.jpg

HOME > ストーリー > 世界のかき事情 > ブラジル > ブラジル その1

ブ ラ ジ ル と い う 国

  • 今の世界でBRICsという言葉を知らない人はいないだろう。21世紀に入って、世界経済はBRICsに代表される新興国に牽引されて成長している。その代表国は中国でありブラジルであり、世界経済の中で確かな存在感を示し始めている。特にブラジルは、金融危機の傷が比較的浅く、国内景気は消費主導で底打ちし、豊富な天然資源と、年々向上する工業生産力に支えられ、日米欧や中韓などが進出を競っている国である。ブラジル市場を制するものが、世界の新興市場を制する、そんな時代が到来する可能性が高いのではないかということが、サンパウロの街を歩いていると実感できる。
  • 加えて、ブラジル成長の背景に存在しているのは「2009年10月2日に開催された国際オリンピック委員会(IOC)第121回総会で、16年の五輪がリオデジャネイロで開催されることが決定。南米大陸初の開催で、ブラジルは14年のサッカー・ワールドカップ、16年五輪と大規模イベントの開催が続く。オリンピックによる経済効果は大きい」という相次ぐビックイベント開催である。しかし、ブラジルの過去の歴史を振り返ると、これらの経済成長実態について、一抹の不安を感じるのも事実だ。

過 去 の パ タ ー ン を 乗 り 越 え ら れ る か

  • 今日に至るまでの経済には大きないくつもの変遷があった。第二次世界大戦後の1950年代以降、急速な経済発展を遂げ、1960年代後半から、毎年10%を超える成長率を見せ、ブラジルブーム、それは安い人件費で腕の良い熟練の労働者が得られることと、豊かな資源があることであるが、これによりアメリカやヨーロッパ、日本などの先進工業国からの直接投資による現地生産や合弁企業の設立も急増し、自動車生産や造船、製鉄では常に世界のトップ10を占める程の工業国となった。
  • だが、1950年代後半に当時のジュセリーノ・クビチェック大統領の号令下でスタートした首都ブラジリア建設の負担や、1970年代初頭のオイルショックなどで経済が破綻し、1970年代後半には経済が低迷し、同時に深刻な高インフレに悩まされるようになり、これ以降、1980年代にかけてクライスラーや石川島播磨(現・IHI)など多数の外国企業が引き上げ、先進国からの負債も増大した。
  • この間、ブラジルの通貨政策は悲劇的であった。まず、ポルトガルの植民地だった時代から統治国と同じ通貨単位レイス(Reis)を使用していたが、1942年にクルゼイロ(Cruzeiro)に単位を変更してからは、激しいインフレーションへの対処の為、以下のようにデノミネーションを実施し、その度に通貨単位を変更した。(括弧内はデノミ率)。
  • • 1942年 レイスからクルゼイロに (1/1,000)
  • • 1967年 クルゼイロを新クルゼイロに (1/1,000)
  • • 1970年 新クルゼイロをクルゼイロに (名称のみ)
  • • 1986年 クルゼイロをクルザード(Cz$)に (1/1,000)
  • • 1989年 クルザードを新クルザードに (1/1,000)
  • • 1990年 新クルザードをクルゼイロ(Cr$)に (名称のみ)
  • • 1993年 クルゼイロをクルゼイロ・レアル(CR$)に (1/1,000)
  • • 1994年 クルゼイロ・レアルを現在のレアル(R$)に (1/2,750)
  • 以上の通り激しい変遷を経て、現在のレアル導入も、当初は2,750クルゼイロ・レアル(CR$)を1レアルに換算したのであるが、この半端なレートは当時の対米ドルレートにより決定されたものである。この移行後は1レアル=1米ドルという固定相場制を導入したが、1998年11月から始まったレアルの大幅下落とIMFからの415億ドルの支援受入れ、1999年1月には固定相場制を維持できなくなり変動相場制に移行し、レアル安が続いていたが、現在(2010年1月)では1ドル=1.7レアルということであるから、現在のブラジル経済は好調なことを証明している。
  • もう一つの問題は、公衆衛生、教育などの公共サービスの水準が先進諸国に比べ低いことと、経済状態の復活を受け近年急速に改善されつつあるものの、いまだに貧富の格差が大きい状態や、沿岸部と大陸内部の経済的な地域格差は未だに改善されていないことである。だが、今回、この貧富や地域格差是正に牡蠣養殖が効果を上げている事例に接することができた。それも一人の日本人の活躍からである。

マ ン グ ロ ー ブ 群 生 地 で の 牡 蠣 養 殖

  • 日本から長時間フライトでサンパウロに着いた足で、すぐに首都ブラジリアに向かった。中村矗(ひとし)氏に会うためである。中村氏は1944生れ、兵庫県明石市出身。大阪府立大学農学部大学院修士課程卒後、すぐに船でブラジルに渡り、現在はブラジルのNOVACAP(ブラジル新首都都市計画機構)の国家公務員で首都ブラジリアに在住している。中村氏は当初、パラナ州の州都クリチバ市役所勤務だった。クリチバは1960年代頃までは、あくまで地方都市の枠を出ない存在であったが、以後の環境政策的な成功も寄与して、商工業が発展し、ブラジルでも有数の富裕な都市となり、その躍進をもたらした環境都市計画が、世界中に知られるようになったが、この躍進に中村さんが大きく関わっていた。
  • その内容はクリチバの元市長ジャイメ・レルネルJaime Lerner著、翻訳を中村氏が担当した「都市の鍼治療」(丸善)に詳しく書かれているが、ジャイメ・レルネル氏が1995年にパラナ州知事に就任すると、今度は州の環境長官に着任し手腕を発揮した。中でも、クリチバから約80㎞海岸山脈を降りた熱帯地帯のパラナグァ湾、ここはマングロープの群生地であるが、その自然環境保護と、湾内の漁民生活とを共生させるための、新たなる牡蠣養殖政策を1996年から展開し、大きな成果を上げたことはブラジルでも知られている事実で、その活動内容をブラジリアで中村氏から直接お伺いしたわけである。さらに、この中村氏の活動が、他の地区にもヒントを与え、そこに中村氏のご子息と、クリチバに住む若者が関わっていることを知り、今度はブラジリアからクリチバに飛び、その若者に牡蠣養殖の現場を案内してもらうことになった。
  • アンデス山脈マングローブについて育つ牡蠣

1234