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オ ー ス ト ラ リ ア は 移 民 国 家

  • シドニーの街角を歩いていると、中国人の多いのに驚くが、これは観光客でない。オーストラリアに移民として入ってきた人たちである。オーストラリアは1901年に英国より独立、人口は2008年で2192万人、人口密度は3人/㎢であり、慢性的に人手不足であるので、移民政策を続けている。そのオーストラリアでの移民、認定されるには二通りある。日本の国籍にあたる「市民権」を受けるこ、これは参政権があり、もう一つ参政権はないが、年金や医療保険、教育などの対象となる「永住権」である。この中で市民権を取得した人数は、1949年に制度を導入して以来400万人に達し、全体人口に対し約20%に近くなっているが、今まで移民政策は揺れてきた。まず、移民受け入れの際、出身国を選別する「白豪主義」を1973年に撤廃、以後、アジア、アフリカ、中東などからの移民が主流になってきた。
  • しかし、いろいろ問題も発生した。例えば、1989年6月の中国天安門事件の際、逮捕された学生4000人を受け入れたが、そこに家族・親戚が一人当たり25人ついてきて、一挙に10万人入ってきたが、何も特技なく語学力なく、これを反省し以後規制が打ち出された。
  • その規制内容は、熟練技術者しか受け入れないということ。熟練技術者とは医療やIT技術関連など人手不足が著しく、育成に時間がかかる職種である。シドニー市内を案内してくれたガイドが教えてくれたが、ドクターならOKで、美容師とかケーキ職人、寿司職人もよい。そこで日本人観光客相手のドライバーやガイドの殆どは寿司職人の免許を持っているという。
  • オーストラリアは基本的に多くの業種で人手が不足して、人材難が人件費上昇を招き、インフレ要因になっている。そこで、2002年から移民人数を連続して増加させてきて、2007年には149,400人と80年代以降で最高となった。また、2007年末の総選挙でインフレ対策の切り札として、移民拡大を公約に掲げて政権交代を果たしたラッド労働党政権、2008年度は移民受け入れ枠を前年比で20%増とした。ところが、世界的な金融危機発生で、2009年はオーストラリア経済も失業率が三年ぶりに5%超えという実態になって、地域住民の雇用機会の確保のため、急遽、受け入れ枠の削減という変更を行った。このようにオーストラリアの移民政策は揺れているが、基本的に人手不足の国、受け入れ枠は一時的に減らしたが、年間10万人以上の移民が増える「移民国家」であることは間違いない。
  • なお、2007年に市民権を取得した出身国・地域は185を超え、国別上位は英国、インド、中国、次にランクされるのはイラク、アフガニスタン、スーダン、スリランカなどの政情不安な国が多い。