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牡 蠣 養 殖 場

  • 牡蠣の取材に必要な条件は早起きということだ。寝坊の人は牡蠣には向かない。
  • 牡蠣が早起きであるか分からないが、漁業関係者は皆早起きで、魚を相手に仕事しているのだから、多分、魚も早寝早起きなのだろうから牡蠣も同じはずだ。
  • そこで、今日もホテルを朝四時に出発する。行く先はニューヨークから44マイル・70km離れたコネチカット州 CONNECTICUT のノーウォーク NORWARK の町である。
  • ここで一番大きな牡蠣養殖業の社長に海の現場を案内してもらうためだ。
  • 今年のNYは暖冬といっているが、早朝の風は身を切るような冷たさである。今回も始めて訪問するとこであり、薄暗い中で、カーナビが機能しない車であるから、この社長の会社 NORM BLOOM & SON を探すのに手間取った。
  • しかし、何とか6時前につく。約束の時間は6時でまだそこまで20分近くあるので待っていると、一人のひげ面のおじさんがコーヒー片手に歩いてきた。聞いてみるとこの会社の社員。会社の中に入れてもらって雑談していると、大柄の正に海の男という感じの人物が現れた。この人物もコーヒーを持っている。この人が案内してくれる社長である。
  • すぐに船にのせてくれるかと思ったら、自分が手造りで船を作っている作業場を案内し始めた。これが外であるから寒い。ここでよく分かったことは、日本からこのときのために大事に持参したホカロンが全く効果を発揮しないという事実である。寒すぎるのである。
  • 海に面した波止場の設備についての案内はまだ続く。早く暖かい船の操縦席に行きたいのに、大男は自慢の工事中の建物に連れて行く。二階に上がるとゲストハウスを造っているところである。ここがバスルーム、こちらがリビング、いかにもそこに完成した後の楽しみを見出しているかのようなガイド振りである。
  • これがようやく終わって、船の方向に歩き出したので寒さから逃れられかと思い、自然に足は速くなる。

牡 蠣 養 殖 船

  • 朝の六時半。とても寒い。冷え込んでいる。靴底が冷たい。19歳の息子は別の船で出航した。船には操縦者以外に4人乗っている。4人は顔つきが中南米人。聞くとホンジュラスから来ているという。正規もいるし不法もいるらしい。皆同じ村で親戚一族という。
  • sign_21.jpg牡蠣を探る船
  • 社長と一緒に船に乗る。船は1924年製造。トン数を尋ねるとちょっと困った妙な顔をして、操縦室の後ろの扉から船の許可証を取り出して教えてくれる。31t。いままでトン数などを質問受けたことがないのだ。操縦免許はいらないらしい。
  • ここでの牡蠣の獲り方はイギリス植民地の時代から同じ方法で行われている。地蒔き式である。筏も棚も使わない。ただ海底に牡蠣を置いておくだけの方法。シンプル、昔からの方法だ。
  • 牡蠣養殖は1970年に親から引き継いで始めている。毎年獲れる量が異なるという。72年73年は豊作だった。70年代の終わりは減少した。80年代後半に二回大豊作があった。豊作に当たったらラッキーだ。しかし、自然が相手のエコサイクル業であるからその年によって変化する。
  • この海は川から流れる水が多く、水温が低いのでよい牡蠣が獲れる。牡蠣とハマグリの両方獲る。ハマグリで日常費用は賄い、牡蠣は余分だとウインクする。
  • ようやく船のエンジンが温まったので出航する。操縦席に入る。パソコンを肩のバックから取り出してハンドル先に設定する。画面が出始めるが遅い。光ファイバーでないので時間がかかる。GPSから受信し現在地を表示する。海には竹の先に赤印をつけた棒が一直線に並んでいる。これがグリッド区画の境を示している。海図をみると、その区画ごとに名前が書いてある。権利所有者の名前である。
  • ようやくパソコンが作動し7時に出航。とにかく寒い。足裏が痛い。30分行くと、今日の目的区画番号地の170に到着する。
  • 到着したところの海底は砂地だが、区画ごとに海底はすべて異なる。岩があったり変化している。石と砂のミックス。理想的な海底はある程度の深さがある砂地のところ。底が硬くてある程度の厚みがある砂地だ。少し離れた区画79の海底は大きな岩が両サイドにあって、その間に大きな牡蠣が育つよい海底だと説明受ける。

牡 蠣 を 海 か ら 掬 う

  • 区画170の水深は操縦席で表示される。見ると20.6フィート(6.2m)から19フィート(5.7m)。いよいよ牡蠣すくいの機械を船の両側から海に入れる。船は止まっているかと思うほどの動きで旋回している。

地 震 の 多 い 理 由

  • 何故にサンフランシスコ近辺が大地震に襲われるのか。それはサンアンドレアス断層による。この断層は、1906年の大地震を調査するために設立された、カリフォルニア州地震委員会の公式報告書で明らかにされている。サンアンドレアス断層は西海岸にそって1,200kmも走っていて、そこに太平洋プレートと北アメリカプレートが接している。太平洋プレートは年に約 4cm北へ移動し、北アメリカプレートは逆に南に移動しようとする。この動きがサンアンドレアス断層線でぎしぎしこすれあって、そのずれが激しくなると大地震になるという。
  • サンアンドレアス断層の地図を見ると、確かにサンフランシスコ市街を走っている。ということはサンフランシスコでは何時地震が発生してもおかしくない街であることが分かる。
  • つまり、サンフランシスコは激しい揺らぎの危険ゾーンであり、いつ「めまい」が訪れてもおかしくない街である。ヒッチコック監督が1958年に、サンフランシスコを舞台に制作した31年後に大地震が発生しているのであるから、映画はそのことへの暗示であったかもしれない。しかし、訪れたサンフランシスコは、明るい陽光と、坂道から見下ろす海が綺麗で、住んでみたい都市で常に上位に存在する美しい街という、魅力的な街であることは間違いない。
  • sign_22.jpg牡蠣を海底から引き揚げる
  • 機械を引き揚げると、その中に牡蠣が一杯詰まっている。それを四人が待つテーブルの上に開いて落とす。牡蠣がテーブルの上に広がる。すると四人かの手が独楽鼠のように動き出す。大きさを瞬間に測ってかごに入れる。 かごは三つ。ひとつは売れるもの。ひとつは小さいもので海に戻す牡蠣。もうひとつは殻だけのもの。これは足元に置く。この三つに分ける作業を続ける。ある程度牡蠣の山がなくなると操縦席で操作する機械が牡蠣を運んで、それをテーブルの上に開いて落とす。これが何回も続く。
  • sign_23.jpg船上で牡蠣の選別作業
  • 9時過ぎまで作業が続き、そこに息子ジミーの船が来る。息子の船から牡蠣を移す。殻のものも移す。その作業が終わると息子は次の区画に移動する。次はハマグリを獲るらしい。スピード豊かなリズム感ある連続作業である。船の上は寒いだろう。水仕事だ。だが、作業を始めると上のコートを一枚脱いでいる。暑いのだろう。
  • 5月以降の牡蠣はぶよぶよしてうまくない、今が一番うまいという。食べたいというと作業員が牡蠣を洗って操縦席の社長に手渡し、社長はペンチで蝶番のところを砕き、ナイフで貝柱を切って牡蠣を開け、こちらによこす。食べてみる。冷たい。味は素直。シンプル。口の中にいやみがない。自然の感触。やはり海から直接の牡蠣はすばらしい。満足する。

自 然 を 大 事 に

  • 息子ジミーから受けた小さい牡蠣と、この船で引き揚げた小さい牡蠣、まだ市場に出せない牡蠣を79区画に持っていき海に落とす。こうやって大きくなってから獲るのだ。
  • 筏も棚も必要なしの自然養殖。すごい。理想的と思う。昔からの方法。79区画に戻したのは多分9,000個だろうという。一袋にいくらはいるかで分かるのだ。
  • 船の上では大きい牡蠣を水で洗って、といっても水は汚れていて、その中にちょっとつけるだけだが、その牡蠣を市場に出す紫色の袋に入れる。これで牡蠣の出荷準備は完了する。簡単といえば簡単。シンプル。きれいには磨かない。だからレストランで一度洗うのだろう。この出荷する相手は市場で、フルトン、ボストン、マサチューセッツ州などに送るが、直接レストランに送る先も数軒あるという。
  • 社長がつぶやく。「牡蠣はつくるもでない。自然という母親が育ててくれるものだ」なるほどと感じ入る。
  • アメリカの海の自然の豊かさに感動した。

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