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ア ド リ ア 海 マ ン フ レ ド ニ ア 牡 蠣 養 殖 場

  • ローマから列車でフォッジャまで行き、ここで一泊し翌朝8:56発でマンフレドニアに向かった。ローマからマンフレドニアに直行する列車便が少ないのでフォッジャで泊ったのである。
  • フォッジャ駅で乗車する列車は二両しかなく、フォッジャとマンフレドニアの間を折り返し運転している。イタリアとは思えない定刻に動き出す。向こうのホームに野良犬が三匹、列車が動く度に吠えるが、この野良犬は街中のどこにでも多くいる。狂犬病の予防注射しているのか不明であるので近寄らない方がよいだろう。9:23にマンフレドニアに着く。
  • 駅が市の観光案内所になっていて、迎えの車が来るのを待っていると、男が出できて「上海から来たのか」と聞いてくる。当然に中国人と思って話しかけてくるのだ。アジア系は全員中国人と思うようだ。後で聞くと、この街には中国人は二人しかいないという。勿論日本人はいない。中国人が少ない町は珍しい。ホッとする。ここはプーリア州フォッジャ県マンフレドニア市、市のホームページから概要を拾ってみた。
  • 人口は 57186人(2009年7月1日現在)、人口密度160.06人/㎢、海抜5m。マンフレドニア湾のガルガーノ岬のすぐ南側に位置し、市の北側はサンタンジェロ山(Monte Sant’Angelo)、北西はサン・マルコ・イン・ラミス市(San Marco in Lamis)とサン・ジョバンニ・ロトンド市(San Giovanni Rotondo)、西側はフォッジャ市、南西はチェリニョーラ市(Cerignola)とカラペッレ市(Carapelle)、そして南側はザッポネータ市(Zapponeta)に接している。
  • イタリアの中で27番目に面積の大きい市であり、プーリア州内では7番目の広さである。このマンフレドニア市の特徴としては、干拓が行われたマンフレドニア湾の低く砂浜の多い海岸と、ガルガーノ国立公園を含む北側の起伏に富んだ自然が著名である。
  • また、1930年代までは沼地が多く存在し、その地を干拓したことも特徴であるが、今でもサルソ湖(Lago Salso)と呼ばれる沼地が結構ある。
  • 年間平均気温の分布図は、プーリア州がどれほど温暖な気候に恵まれているかを明らかに示している。平地部のほぼ全域および丘陵部の多くの地域で、平均気温は15度を超えているように、マンフレドニアでも年間平均気温は15.1度である。市の経済は漁業・商業・工業・観光という4つの柱からなっている。町を創設し、その碁盤目状の構造の原型をつくったのは、フリードリッヒ二世とビアンカ・ランチャの間に生まれたマンフレーディ王である。
  • マンフレドニアはイタリアにおいて「カーニバル(謝肉祭)」で知られている。競い合う工夫をこらした仮装行列の山車パレードだけでなく、「ソーチェ(socie)」という名の、家の中で催される伝統的なダンスパーティにより、カーニバルを他地区と一味違うものとしている。経済面では、農業とマンフレドニア港を中心とした漁業を基礎としている。観光部門では、特にシポント(Siponto)の海水浴場と南部の海岸部での観光が盛んで、これらで再開発を行って、経済発展を期待している。
  • この町も、他のイタリア都市同様、夜になると、マンフレーディ通り(Corso Manfredi)が伝統的なそぞろ歩きをする人たちで埋め尽くされる。このそぞろ歩きは、地方都市で見られるイタリアの習慣で、フォッジャでも街中の商店街通りを、ゆっくり歩く人たちでいっぱいだった。日本の地方都市では見られない風景であろう。

プ ー リ ア 州 マ ン ド フ レ ア の 牡 蠣 養 殖 場

  • 中国人と間違えられところに、長身のMatteo Ciuffreda Ph.Dマッテオ・チュッフレーダ氏が車で来てくれた。39歳のフィレンツェ大学出身。マンフレドニアに18歳まで住んでいて、現在は水中生物の繁殖技術コンサルタントで、この地の牡蠣養殖プロジェクトのため、大学での研究を辞めた人物。
  • 車はマツダ。あまり奇麗ではない。殆ど掃除しないのだろう。海岸を走っていくと、道路の上に箱型になった筒みたいな建造物がずっと続いている。これは何かときくと船からのベルトコンベアで、約2.5㎞もあるという。このベルトコンベアの突端にあたる船着き場に行くには、入り口で検問がある。一台ごと窓口に行き通行許可証にサインし、車のナンバーを書き入れる。これは外国からの密貿易と密入国監視のため。 
  • 船着き場に着くと、沖合から船がこちらに向かってくるのが見える。あれに乗るのだという。そこで船用の支度、と言ってもコートを着るだけだが、準備して待っていると船が到着した。乗船するとマッテオ・チュッフレーダ氏が知的な雰囲気を漂わせながら、静かに話しだした。
  • 約3年前から、漁業組合連合(Federcoopesca)の支援と指導のもと、プーリア州でカキ養殖事業を展開してきた。実際のカキ養殖の州認可を受けているのは、マンフレドニアの協同組合会社アルデバラン(Aldebaran)、レヴァンテ( Levante)、ルナ・ロッサ( Luna Rossa)そしてサンタ・ルチア( S. Lucia)の4グループである。養殖はマガキとヒラカキで、ヒラカキの方が規模は小さい。このグループの中で、アルデバラン協同組合会社は2年前から実際に生産活動に入っており、サンタ・ルチア協同組合会社が、牡蠣の管理・仕上げ・選別作業そしてその後の商業取引を行っている。
  • 船が止まる。そこは牡蠣養殖海域であり、次の構造となっている。
  • 構造: 5 列のロング・ライン(長いロープの列)
  • 1列の長さ: 1000 m
  • ロープの固定: 6本の繋船柱
  • 繋船柱間の距離: 200 m
  • 繋船柱の目印: オレンジ色のブイ
  • 列と列の距離: 100 m
  • 水深: 9m~10 m
  • 養殖法は、適度な大きさの繋船柱によって海底に固定され、ブイにより海面宙づりとなっている養殖用ロープのロング・ラインに、牡蠣が入っているナイロンのネット(ランタン・提灯形ネット)を水深1.5mから3mに配置している。
  • この海域は、特に貝類の生育に適しているが、そのことを証明するため、この海域の実際の栄養力を検証する調査を2005年から進めている。元々マンフレドニア工業港の北部に位置するエリアは、気候的・栄養的観点から良好な海域であって、10年以上前から、ムール貝の養殖施設が実現され、とても良い成果をあげている。この中で、牡蠣養殖に選定されたエリアは、マンフレドニアの居住地区の北西、海岸線から約2マイルに位置していて、水深約9m~10mの平らかつかなり安定した海底で、海岸に平行に広がっている。この海域は栄養状態がかなり良いことが特徴であり、そのため貝の成長の良さを保証することができる。
  • ガルガーノ山岳ゾーンがそびえるマンフレドニア湾の特有な形状は、植物性プランクトンの繁殖や海水の物理的条件(温度、塩度、pHなど)を最良に保つのに不可欠な要素である淡水の供給を保証し、今までに環境的問題が明らかになったことはない。
  • これまでの経緯は、1980年代の公式統計データによると、イタリアのヒラカキ養殖量は5000トンとなっているが、80年代末の生産量はゼロとなった。イタリアでは、今までムール貝とフィリピン原産のアサリの養殖が中心であって、EU諸国の中で牡蠣の輸入量が一位であるだけでなく、ムール貝・あさりの輸入量でも二位に位置しているように、イタリアは貝類の養殖が遅れている。この視点から、ここ数年の新しい養殖技術の導入によって、イタリアにおいても規模を大きくした量の牡蠣養殖活動を始めたのである。
  • マッテオ・チュッフレーダ氏の解説は船の上で資料なしにまだ続く。次はヨーロッパでの状況である。彼は今までお会いした牡蠣養殖関係者の中で、最も詳しい一人であるので、彼の語る内容で進めたい。通常、特にヨーロッパ市場においてカキは生きている生牡蠣が取引されている。その他では、殻に入ったまま冷凍されたもの、またはソースをからめて缶詰にしたものであるが、一般に加工されたものは少ない。
  • 輸出に関しても生きている新鮮かつ冷蔵されたものが大部分を占め(全体の69.9% )、冷凍カキは全体の 17.7% 、残りが缶詰もしくは様々に加工されたものとなっている。イタリアではフランス市場と異なり、牡蠣の小売り関し、その大きさによって価格が変わることはない。フランスでは牡蠣の大きさが価格に反映する仕組みだが、イタリアでは通常、牡蠣の大きさは表示されず、また、個数(24個、36個など)よりも重さ(1キロ入り、3キロ入りなど)で取引されている。
  • さらに、質・ブランド・生産地の認証がないため、牡蠣はしばしば全くパッケージされることなく、ばら売りされている。なるほど、この実態はローマの市場やスーパーで確認したとおりである。
  • 消費については4つのグループに分けることができる。
  • ① 消費が高く、輸入している国・・・フランス・ベルギー
  • ② 消費が高く、輸出を行っている国・・・フランス
  • ③ 消費は低いが輸入している国・・・スペイン・イタリア
  • ④ 消費が低く、輸出をしている国・・・ オランダ・アイルランド
  • このように北の国から南の国に輸出の流れがあり、重要な消費エリアは、ベルギー・フランス・スペイン・イタリアで、住民一人当たり年間3-6kgとなっている。この消費は季節によって大きく変化し、フランスの場合には、11月から1月に70パーセントの消費が集中している。フランスとフランス語圏の地方では、家庭内における消費は定着化しているが、生で食べる場合、牡蠣殻を開けるのに苦労することから、他の国々ではレストランで消費されることがほとんどである。
  • 牡蠣は独自の特徴をもつ商品であり、質的なプロフィールによっても、カキは経験のある消費者や精通している人向けに限られた商品であるとされている。牡蠣に関する文化が存在し、大都市部だけでなく海岸地域沿いのエリアでもその評価の高いフランスを例外とし、牡蠣の消費は特に大都市に集中している。フランスの消費者は牡蠣の特徴を知っており、牡蠣の種類や味わいを理解することができる国民である。フランス市場での牡蠣市場の細分化、それは緻密な文化的な背景があるものだが、これは生産者にとっても強みであり、市場に異なるアプローチを行う等をすることで、様々な特定層向けに訴求し、結果としてブランド化を図り、商品価値を高め、価格についても安定したものを可能としている。
  • 貝類の消費の大部分と同様、牡蠣の消費には季節的なリズムがあり、牡蠣の生理学的サイクルによってのみならず、消費者の習慣によっても変化する。消費の最も高い国であるフランスとベルギーにおいて、牡蠣の購入は魚屋・マルシェ・直売では38%、スーパーでは58%がクリスマス休暇の期間に集中している。更に、国によっては、野生のカキ漁を規制する法規定があることも考慮する必要がある。例えば、イギリスでは、ヨーロッパのヒラカキのストックを保護する目的で、この種のカキの販売を、この地域での繁殖の最盛期である5月14日から8月14日まで禁じている。
  • イタリアにおける魚介類購入は、生鮮品全体に対しレストランでは69%、家庭では52%を占めている。そのうち、家庭での貝類は購入した生鮮食品の25%を占め、レストランの場合には、ピザ屋(pizzerie)の58.7%と高級レストランの42.4%の間、大体54%くらいだろう。イタリアでは、2003年から生鮮ものと自然解凍ものの家庭内消費は増加の傾向にあり、特に南部の州において牡蠣の消費に関してはより大きな変化が見られる。家庭外消費に関して見てみると牡蠣の購入量は、ピザ屋やホテルで消費された貝類のわずか2.5%、高級レストランでは4%を占めるにすぎないが、増加の傾向にある。
  • このように牡蠣の消費は地域によって異なる。実際、食の伝統および食文化によって魚介類の消費が高い南イタリアでは、牡蠣の消費は国内平均を上回っている。もっとも消費が低いのは、小売価格も非常に高いイタリア北東部である。
  • 彼の話はさらに展開された。次は牡蠣養殖の歴史である。近代的な概念によるカキの養殖は、原生のOstrea edulis種を使ってフランスで17世紀に始まった。種貝は自然床から採取された後、大西洋海岸沿いに位置した養殖用の池に移され、そこで4-5年に成長させた。19世紀、商業取引の増大によっても活動を最大限に維持する必要性から、種貝の調達のために自然床が過度に侵されるという事態が発生した。養殖活動を維持するのに必要な種貝の供給量を増やすため、1850年から初めは古代ローマ人によりイタリアで取り入れられた技術をただ単に取り入れただけの、木管の使用を基礎としたヒラカキの種貝用の採取システムが活用され始めた。
  • 1865年、アルカション(Arcachon)の流域において、稚貝を育てるために石灰で加工した瓦を使い始めた。1860年、ヒラカキの不足と市場の需要に対応するため、ポルトガル・ターゴ(Tago)川の河口からCrassostrea angulata 種(ポルトガル原産のカキ)のカキが輸入され、フランスの海岸にこの種が定着した。ヒラカキに関しては、現在でも理由は明らかではないが、1920から22年大量に死に、フランスの幾つかの地域では、完全に外来種に取ってかわられたかに見えた。
  • ポルトガル原産の牡蠣は、後に起こった2つの出来事によって打撃を受けた。1966から69年Crassostrea angulata 種は「エラの病」と呼ばれる病気に侵され、1970から73年には過密状態または養殖場によっての過度の搾取によると思われる大量死亡現象が起こり、フランスの海岸からこの種は姿を消すこととなる。1967年、日本原産の真ガキ「Crassostrea gigas」 の種貝が初めて輸入され、1972年、イギリスからCrassostrea gigas 種の輸入が始まったことで、この新しい種類の養殖が始まった。日本のマガキ養殖は、現在フランスの大西洋岸沿いだけでなく、地中海沿岸でも広く普及しているが、その地域が海流の影響を受けるかどうかによって、異なった技術(海底、綱に宙づり、とボードに袋)が使われている。
  • 極度に簡素化されたフランスのマガキ養殖場は、Arcachon 水域やMarennes-Oléron水域と呼ばれる地域で稚貝が収集され、 肥育のために特にノルマンディ地方南部や地中海に位置した生産用貯水地に移される。 約3年後、成長した牡蠣は、牡蠣養殖用の貯水池における清浄過程を経て市場に出されるが、さらに価値を高めようとして、再び、各地を移動させる養殖形態も行われている。現在、畜産学的・遺伝学的研究の結果に基づいた復活計画が進行中であるヒラカキについては、特にブルターニュ地方のQuiberon湾で稚貝の採集が行われている。肥育は水深の深いところで行われ、商業取引可能な大きさになるのに2から3年を要する。
  • なお、稚貝の供給に関しては、次の3つの方法がある:
  • 1. 自然床で稚貝を法規に従って採集する
  • 2. 自然床で採集、または養殖場から稚貝を取得する
  • 3. 孵化所から稚貝を購入する
  • 最後の3は、人工的三倍体による方法であるが、ヨーロッパの牡蠣養殖においてはまだ一般的ではない。理由は、孵化所から購入した稚貝は、自然の稚貝に比べコストが高いからである。
  • 次は食べ方に入った。これは具体的でないと分からないので、今日船にあげたヒラカキをレストランに持ち込み料理してもらうことになった。そこで長い講義を終った船から降り、マッテオ・チュッフレーダ氏の親しいレストラン、Calafuriaに向かった。イタリアでの牡蠣の食べ方は基本的に生であるが、この地方ではパン粉につけてオリーブ油、ニンニクとパセリをみじん切りにしてオーブンで焼く料理として、Ostriche Gratinateグラティナーレがある。
  • i_03_01.pngマンフレドニアの裏通りの洗濯物
  • ところで、マンフレドニアの裏通りは、家の前に洗濯物が干してある。道路上にも、窓からも洗濯物がたくさん並んでいる。洗濯物は南イタリアの独特の風景であると思いつつ、一つのレストランに入った。入ってテーブルに座ると、早速に料理が出てくる。まず、前菜はイカ、タコ、シラスをいろいろな形で料理したものがたくさん出てくる。彼が選んだワインは、白のバーリ地区のTERRA RICCA MURGIAムルージア、これは結構うまい。彼の見解ではヒラカキは後味がわさびと似ているし、このムルージアが一番合うと強調する。
  • グラティナーレ料理法は、伝統的にはオーブンで調理するが、蒸してからオーブンに入れる方法もあるという。この両方をレストランでしてくれたが、蒸した方が食べていて噛み具合が楽しめる。大量のヒラカキ料理を味わった後は、レモンのシャーベットである。これは魚を食べた後の定番とのこと。魚の後味を取り去って、次への肉料理に向かうためである。
  • 次にコーヒーと食後酒、これはサクランボの自家製酒で、プーリアのサクランボで、これは思わずうまいと発言するほどである。これでもうお腹はいっぱいであるが、普通はこれからパスタを食べるのだとの解説に、急に日本に帰りたくなる。イタリア人と生活すると、こんなにたくさん食べることになるのだ。これは大変だと正直に思う。
  • i_03_02.pngOstriche Gratinate ギラティナーレ
  • レストランで食事終え、彼がフオッジャ駅まで車で送ってくれることになった。親切であるが、先ほどから白ワインを一本空けている。当方はあまり飲めなく口だから、彼が殆ど飲んだのだ。だから、飲酒運転である。危険だが、こちらでは問題ないのだろうと考えなおして、汚い車に乗り込む。
  • 車中では、突然に小説家の村上春樹の話になった。村上小説は、ノルウェーの森を友人からもらって読んでハマったのだと語りだす。料理の場面が多いのも関心あった。イタリア語で「素晴らしい国の終わり」というのが大好きで、カフカの海辺も読んだ。一般に西洋の作家は売るために書いているが、村上は日本ならではというものを書いていて、どこの国でも起きていることではなく、日本のことを書いているので外国人にとって学ぶこと多いという。
  • 彼のこの評価は、他国で聞く村上作品の評価と少し異なる。他国では村上小説が場面は日本なのに身近な感じで受け取れる、というのが多いが、彼は異なる。だが、評価内容は別として、彼は村上を高く評価している。大江健三郎についても話題が出て、村上同様に高い評価である。
  • ところで、イタリアでは四種類のノルウェーの森が出版されていてそれぞれ中身が異なるという。日本語から英語に訳し、それからイタリア語に翻訳する場合と、日本語から直接イタリア語に訳した場合でニュアンスが異なるのと、訳者が違うと本の中身が異なるという意味である。日本でも同様な事があるのだろうと思う。
  • 話は自分の哲学に入った。自分の生き方は「一歩下がって、できることだけする姿勢」「頂上に立つと終わり。頂上に行ってはいけないという意味だ」だとさり気なく語る。量を追うのでなく、質を求めたいということかと質問すると、その通りだと頷き、これはお祖父さんから教えてもらったと、しばしお祖父さんの話題になる。父母の事は話題に出てこないのが気になるが、祖父からは「今日できることは今日やってみること。それが成功のステップ」とも教えられたと、今は亡き祖父を慕っている思い出を語り続ける。趣味は碁、これは伯父さんから教えてもらって始めたが、今はインターネットで一人でしている。
  • このように彼との会話は、船の上からレストラン、送ってくれた車の中、すべて興味深い内容で、あっという間にフォッジャ駅に着き、再びローマに向かったが、マッテオ・チュッフレーダ氏の博学多才な見解と、説明力にイタリア人の底力を感じ、いろいろローマのレストラン事件ではイタリアをけなしたが、こういう若い世代が伸びて行くと、イタリアの未来は再び開くだろうと感じた次第である。
  • 最後にイタリアに牡蠣養殖場があるということを、ローマ市内のレストランからの情報で知ったのだが、その内容を紹介してイタリアを終わりたい。
  • 「牡蠣、地中海最大の養殖場はイタリアにあるマンフレドニア、その生産物で市場を獲得しつつある養殖場 ローマ 発(2008年7月21日)
  • 牡蠣とシャンパン、この組み合わせはもはやフランスだけのものではないようで、今やイタリアがその常識を打ち破ることになるかもしれない。おそらくフランス北部および南部の海岸地帯にある若い牡蠣の養殖に大打撃を与えている不可解な病気も加担して、イタリアに「Ostrea Edulis」 がやってきた。イタリアの原生種で、プーリア州から水産市場を獲得しつつあり、秋にはフランスでデビューする、フランスの牡蠣に引けを取らないものである。地中海で最大の養殖場はマンフレドニアにあり、イタリア産の貝類を商業取引している、唯一のものである。
  • 2008年3月に販売が開始された。イタリアが牡蠣の約90%を輸入しているフランスにおいて、病気がフランスの養殖場に40%から100%の打撃を与えていることから、これは絶妙のタイミングと言えよう。ポルトガルから輸入されたフランス種「Cassostrea Gigas」に比べ、イタリア産の牡蠣は上部の殻が平たく鱗が多い。貝肉はやや薄く、脂肪分が少ない。味については、イタリア産スパークリングワインと組み合わされることを知っているだけで良い、「Vinitaly 2008」に登場した。「Federcoopesca-Confcooperative 」に加盟するプーリアの養殖場は2007年に設立された。 20列の構成となっており、それぞれ1000メートルである。現生産能力は120トン、いずれは1000トンになる。小売価格は1キロ当たり7-14ユーロで、推奨される消費期間は9月から4月である。養殖はプーリア海岸の自然床で生後数週間の牡蠣を採取することから始まり、選別された後、更に大きさごとの分別が行われ、商業取引が可能な大きさになるまでの1年間、養殖される。養殖には、ブイによって3メートルの深さに保たれた横木に取り付けた10段の網かごを使う方法を用いる。
  • フランスの養殖に比べると、水温が高いこと、成長を減速させる潮流の影響を受けないことから、成長速度が非常に速い。そこに目を付けたフランス人たちは、一年の全期間おける需要を満足させることができるよう、マンフレドニアの牡蠣を輸入するということで養殖場と合意を図った。フランスのアルプス以北の市場が関心を寄せているようである。
  • 最後の追加であるが、マッテオ・チュッフレーダ氏の夢は「ローマのテルミネ駅内にマンドフレア牡蠣の直営店を展開すること」である。多分、これは近いうちに実現するであろうと思う。その時を楽しみに再びローマとマンフレドニアを訪れたいと思っている。

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